岸町熊野神社について
歴史
当社の創建は岸村(現在の岸町)の開村の頃と伝えられ、元禄六年の『御検知御図帳』には「当社地の義任先規に除地せらる」と記載されているところから、江戸時代の初期には既に奉斎されていたものと考えられています。
かつて当社は南谷(現在の岸町三丁目)にありましたが、明治十九年十二月十一日に無格社稲荷神社を合祀の上、同社の境内であった現在地に遷座しました。この稲荷神社は、三日月形をしている岸村全体を見下ろす高台に位置するところから、昔より月見稲荷(あるいは月村稲荷、三日月稲荷)と呼ばれ、現在も当社の境内社として祀られています。
その後、明治四十年五月に字押切に鎮座する無格社神明神社及び諏訪神社の二社を合祀し、昭和三十五年には氏子区域内に散在する小祠を合祀し、現在に至ります。
主祭神は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、速玉男命(はやたまのみこと)、事解男命(ことさかおのみこと)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、武南方命(たけみなかたのみこと)で、内陣には本地熊野大権現像が安置されています。
信仰
当社は岸町の産土神(うぶすなのかみ)として信仰されており、祭事は元旦の元朝祭、三月十五日の月見稲荷神社の祭り、四月十四日の春の例大祭、七月十四日の天王様、十月十四日の秋の例大祭の年五回行われています。
境内について
<男坂>
旧川越街道を岸町から新宿町二丁目・富士見町へ上る烏頭坂の中腹に男坂はあります。約40段ある石段は少し急ですが、春にはつつじが、梅雨の時期には紫陽花が咲き誇り、自然豊かな光景を目にする事ができます。
<女坂>
烏頭坂の上った所に女坂の入り口はあります。男坂に比べ女坂は緩やかな坂になっており、烏頭坂を見下ろす形で上っていきます。男坂女坂ともに夜は灯籠に灯りがともり、幻想的な雰囲気を味わうことができます。
<境内入り口>
男坂を上りきると二つの石鳥居が姿を現します。本殿へと続く参道は多くの木々に覆われたとても静かな空間となっており、参拝まで心穏やかな時間を過ごすことができます。
<木曽御嶽塚>
男坂を上った右手側には木曽御嶽塚があり、木曽御嶽山を模した塚には「御嶽神社・八海山神社・三笠山神社」の石碑をはじめ、木曽御嶽山に関わる祭神などの石碑を見ることができます。
<見晴台>
一つ目の鳥居をくぐって左手側にある見晴台は晴れた日には都内まで見渡すことができます。見晴台には木で造られたベンチが設置されており、近所の方や神社を訪れる方々の憩いの場になっています。
<月見稲荷>
二つ目の鳥居をくぐって左手側に月見稲荷は祀られています。三日月形をしている岸町全体を見下ろす高台に位置することから、昔より月見稲荷(あるいは月村稲荷、三日月稲荷)とよばれ、現在も本殿の前に祀られています。
<手水舎>
参道の右手側にある手水舎は、元朝祭の際には色とりどりの花が浮かべられます。正月限定の花手水は一見の価値ありです。
<本殿>
参道の先にある本殿は一間社流造りになっており、拝殿とともに明治八年四月吉日に造営されました。またこれを納める覆屋は、蔵造りの街川越にふさわしく土蔵造りとなっています。
<諸神様>
本殿の裏手には諸神様が祀られています。左の奥から「御嶽神社」、「三峰神社」、「榛名神社」、「鎮守熊野三社大権現」、「秋葉神社」、「八坂神社」、「諏訪神社」、「霊神」、「疱瘡神」、「稲荷大明神」、「神明神社」、「稲荷明神」、「戸隠神社」が祀られています。
<神楽殿>
参道の左手側にある神楽殿は、祭りの際にはシャッターが開けられお囃子披露の場となります。以前は神社の倉庫として使われていましたが、改修を重ね現在の形となりました。神楽殿には地下があり、お囃子の稽古場所としても使われています。
<社務所>
本殿の反対側にある社務所は、元朝祭の際のみ参拝者にお札を頒布しています。普段は氏子等の接待や会合などに使われています。
<広場>
社務所に隣接する広場はとても広く、見晴台と同じく近所の方や神社を訪れる方々の憩いの場になっています。2月に行われる節分祭にはこの広場で盛大に豆まきが行われます。
<岸町健康ふれあい広場>
かつて岸町熊野神社が鎮座していた南谷(現在の岸町三丁目)には石碑が建てられ、現在は岸町健康ふれあい広場として子どもから高齢者まで、多くの方々に親しまれています。
年間予定
2025年
1月1日(水)
元朝祭
2月2日(日)
節分祭
3月16日(日)
月見稲荷祭礼
新入学児童交通安全祈願
4月14日(月)
春の例大祭(春祈祷)
7月
天王様(八坂神社祭礼)
10月14日(火)
秋の例大祭(秋祈祷)
12月23日(火)
釜〆